次から次から副作用がで2年間

約2ヶ月の入院後抗癌剤治療が始まり前回も書きましたが、 口内炎で食事ができなく、全身の毛が抜け、手がしびれ始めて、車のクーラー・冷房のきいた部屋に入ると全身が痺れ、その都度車を替えたりその時その時の状況に合わせて自分で考えて対応してきました。また皮膚の弱いところに湿疹ができ、それがタダレテ血が止まらなくなり、丁度6月頃から両太ももの内側に集中してでき、ホワイトジーンズを履いていたら両内腿にシミができ脱いだらジーンズと擦れて血が噴き出していて、薬を塗りガーゼを当て包帯を巻く(今の包帯はドラッグストアーで探すといいものがありネット状の袋の上下がないサポーターみたいなのとか、マジックテープみたいに縛らなくてもいいものとか)病気とか怪我をしないとわからないものがたくさんあり病人にはありがたい便利なものがあり大変助かりました。

たまたまユニクロのチラシでステテコパンツが乗っており、どんなものか近くのユニクロへ行き直ぐに4枚買いました。今までズボン下なんて履いたことがなく履いてみるとサラサラで気持ちがいい肌触りで気に入り夏場はなんとか乗り切りました。そのうちに爪が割れるようになり薬を飲む時に12種類ほどの薬を飲みますが、カプセルとか錠剤は一つずつ爪で押して出さないといけないので指の先の親指・人差し指の爪が割れ爪きりで伸びた爪を切り少し深爪ぐらいに切りましたが、それがいけなくてその深爪の爪が割れ指の先が脈のようにズキンズキンして痛くて、痛くて夜も眠れないほどで、その時もドラッグストアーで探して、液バンで割れたところに塗り固めて(瞬間接着剤みたいなもの)、なんとか凌ぎましたが、今度は足の爪、手の爪が巻爪になり指の先が痛くて看護師さんに聞いたら強力粘着テープで爪の横に肉を引っ張るようにしてテープを貼り爪が伸びるのを待つ、伸びると割れるの繰り返しで先生に聞くと爪切りでなく毎日ヤスリで調整して伸びすぎず短すぎず調整してテープで固定して安定するまで我慢するしかない。と言われ手の指は毎日両手で4~5本は包帯で指に巻いていました。やっと爪が安定してくると、今度はササクレでこれも液バンで固定しての繰り返しが3ヶ月ぐらい続きました。同じ時期に内腿にできた吹き出物が治り、今度は顔にできはじめて、そのあと首・二の腕の内側・背中・下腹部と次から次から出始めて病院から3種類の塗り薬をもらい、軟膏・クリーム・液状の塗り薬を使い分け、今現在も使用しています。少しでも痒いところ、チョコっと出来た赤い吹き出物に大きくなる前に直ぐに塗るようにしています。塗り薬はまだ手放せません。この2年間これの繰り返しです。口内炎が治りかけた頃に今度は歯周病で、歯科に行き毎週木曜日に3階の消化器外科で血液検査を受け結果が出るのに2時間ぐらいかかるためその間に1階の歯科に行き治療を受け、また3階に戻り診察を受け、結果を聞き今度は9階の外来科学療法室へいき抗癌剤治療を受け毎週木曜日朝8時半から夕方の4時半から5時ぐらいまで病院であっちへ行ったりこっちへ来たりと自宅に帰ると疲れて寝てしまい、起こされて食事をして風呂に入る、薬を塗りまた寝るという状態が2年続きました。夏が終わり涼しくなるとまた、今度は足が痺れ始め、平衡感覚がなくなりまっすぐ歩けなくなり杖を買い(今3本持っています)毎日仕事・出張・打ち合わせ・そして病院と忙しくしています。癌で亡くなった方は家にこもり仕事も辞め一日中家にこもり私は病人だというふうに過ごし病院には奥さん同伴で送り迎えしてもらいあとは家にこもるような生活をするものだから、余命半年と宣告されると、本当に半年後に亡くなる。

もっと残された時間を自分がここにいるんだと、宣告されたらされたで真摯に受け止めてその限られた時間に何をやるか、死を覚悟すれば何も怖いことはない。その限られた時間を有効に私はここにいると証明できるように生きてもらいたい。

偉そうに書いていますが、生き延びれたから言えるのであり、病気ということを忘れる、後に残された家族のことを考えてなにをやるかを考えて、その限られた時間をワガママさせてもらい好き勝手に生きるのも人生だと思います。また次回は足がしびれ初めてのことを書きます。