ガーン!ショック

今現在こうしてパソコンをなぶり投稿できるのは、昨年の暮から中日新聞のコラム欄で、ある大学の教授が「癌とともに」生きると連載を始めました。記事の内容が私とまったく同じで自覚症状なし、健康診断で大腸癌とわかり病院へ行き、緊急入院・緊急手術その後抗がん剤治療とまったく私と同じで、毎週金曜日にそのコラムを読んで、よし、俺も頑張るぞ。と新聞を読むのが楽しみでした。その筆者も、やはり口内炎が酷く、味覚が全然分からなく困ったこと。タバコは吸わないが毎晩の晩酌が楽しみでいたのが、酒を飲めないのが一番つらかった。と書いてあり、私も同じで、丁度そのぐらいに時期に診察が終わり先生が、タバコも・お酒も飲んでいいよといわれるが、お酒は、ビール・ワイン・焼酎・ウイスキー・日本酒と飲んでみましたが口の中が火事でいまだに飲めません。お酒を飲まなくなって2年半禁酒してます。(本当は飲みたくても飲めない)先生に言うと笑っていましたが、本当は飲んでもらったほうがいい、タバコは止めたほうがいいけど反対ですねといわれ、イライラするときはタバコを吸いますがいまだにアルコールは受け付けません。

記事を読んでいくうちに何とか口内炎が収まり、毎日ワインか日本酒を飲んでいますと記事に書いてあり、イイなー飲みたくても飲めないのにー。そのうち手・足が痺れ始めその方は私と反対で手のほうが痺れが酷く、ペンが持てないのでしばらく記事を休みます。と書いてあり私も真夏でも手袋をして食事をするぐらい手が痺れ素手で、金属製のもの・冷たいもの・プラスチックなどが持てない今でもパソコンを打つとき手袋をはめてキーボードをたたいています。一時期パソコンが触れず、iPadを使い仕事をしていました。もちろんiPad用の手袋をはめてです。手が痺れ始めたのが抗がん剤治療を始めて3~4ヶ月ごろで、口内炎が2ヶ月目ぐらいで足が痺れて歩くのが困難になったのが6ヶ月目ぐらいでした。丁度まだBMWを乗っているときで、取引先の社長がゴルフに行こうと電話があり、手が痺れていけないというと、いつも負けているから丁度イイと言い返され仕方なく行った覚えがあります。その時が丁度8月のはじめで一番暑い時期ですが、手袋をはめてゴルフ場に行きスタートの1番でドライバーで売ったときの手の痺れが凄くてドライバーを放り投げたようにしてスタートをしてゴルフをやり、痛かったが楽しい1日でした。これが最後のゴルフで今では自宅にキャディーバックがあるだけで中身は私が病院に行く日を家族全員が知っており、長男が中身全部持っていってしまいました。2・3週間知りませんでしたが、歩くときに壁とか机とかをさわりながら歩くので病院に行こうと玄関で靴を履こうとしたときよろけてゴルフバッグをさわったら軽くて転び、そのときに中身が無いことに気づきました。ちなみに手が痺れながらゴルフをしたのに、私のスコアーが92であと3人は100オーバーで全員病人に負け、帰りに焼肉をおごらせたのはいいのですが、そのとき口内炎が一番酷いときで、結局酒を飲むことも焼肉を食べることも出来ず帰りました。そんなことも有りいまだに忘れないのはそのときのスコアー票が自宅のパソコンの上においてあり今もあります。ゴルフの誘いがしょっちゅうあるのですがこれが最後でまるっと2年ゴルフクラブを触ることも出来ません。話を戻しますが、年が明けて新聞を見るとなんと3週間ぶりの記事の投稿があり、筆者が手袋をはめてパソコンが打てるようになったからまた投稿します。書いてあり、そのときの記事で退院のとき余命半年といわれ3年生き抜いたことを、記事に書いてありまた大学の教授ということでデータを調べたら最初の半年を生き抜ければ次は5年生き抜ければもう大丈夫だと書いてありました。あと1年絶対に生きてみせると書いてあったのですが2月の中旬ごろに、筆者が肺炎で亡くなりこのコラム欄は打ち切ります。そのときにものすごくショックで一気に症状が悪化したみたいで寝込んでしまいました。思い出して書いているうちにそのことを思い出しなんかパソコンを触るのも嫌になりなかなか投稿できませんでした。前回かその前に書いたと思いますが、看護師さんが気がついてくれて肺炎が軽くて済み2週間ぐらいの入院ですみましたが。私は毎週でしたがなくなられた教授は月に1回の抗がん剤治療で、病院によって違うんだなーと思いましたが、やはり3年を過ぎると再発することが多いのと5年以上生きれるのが10%ぐらいだというデーターが書かれていましたので、その10%の中に入ると、またゴルフをやると心に決めて頑張っています。